見出し画像

Futura(フーツラ)とナチス

※本記事は2005年に当方のブログで公開していたものを加筆(減筆?)修正して転載したものです。本邦における Futura とナチスに関する奇妙な噂を払拭するきっかけになったことなので、残しておきたいと思います。

Futura という書体に関する奇妙な噂

Futura(フーツラ・フツーラ・フツラ・フトゥーラなどなどいろんな表記がある)という有名な書体があります。セリフ(ひげ)のないサンセリフに分類され、幾何学的にデザインされた字形が特徴です。ドイツのパウル・レナー Paul Renner という人がデザインし、1927年にバウアー Bauer という活字鋳造所より発売されました。現在は様々な会社によりデジタル化されて販売されており、誕生より100年近く経った今でも人気のある書体です。

この書体にはかつて以下のような変な噂がありました。

Futura はかつてナチスが制定書体として使用していたため、欧米では大変嫌われており、使用には注意が必要である。

というものです。

どんな書体にもその製作目的、製作者、年代、時代背景等々のバックグラウンドがあり、それを深く知ることがタイポグラフィのキモのように言われています(一部には)。中でもこの話はタイポグラフィ好きの間ではつとによく知られていましたが、私は個人的にこの話に何か引っかかるものを感じていました。Garamond と Caslon の違い、Helvetica と Futura の違いなんて、デザイナーでも書体好きにしかパッと見分けられないのに、「そんなことあるかな?」とずっと疑問に思っていました。

タイプディレクター・小林章さんへの質問

かつて『デザインの現場』というデザイン専門誌がありました。広告・グラフィックを中心にデザイン全般を取り扱った専門誌でしたが、この雑誌で2004年からドイツの Linotype(※現在は英国 Monotype に吸収合併され、Linotype の名はブランド名として残る)に勤める小林章さんが『タイプディレクターが答える欧文書体Q&A』という連載をしておりました。

この連載では一般からの質問を受け付けていたので、私は別件と一緒にこの Futura のことも思い切って質問してみることにしました。小林さんは当のドイツにいらっしゃることだし、何か判るだろうと思ったのです。

緊張してドキドキしながら編集部へ質問メールを送った数日後、小林さんご本人から丁寧な返信メールが届きました。実は私が本連載における最初の質問者だったそうで、逆に喜んでいただけました(笑)。

噂を調査した結果「Futura は嫌われてない」

別件へのアドバイスもいただきましたが、小林さんが気にされていたのがやはり Futura の件でした。小林さんもこのことはご存知でしたが、実はこの噂は日本でしか聞いたことがない、というのです。それからの小林さんの調査は迅速かつ広範囲におよび、欧文活版印刷では国内屈指の嘉瑞工房の高岡昌生さんや、デザイナーの立野竜一さんらも巻き込んで一大調査が始まりました。小林さんは欧米の有名なタイプデザイナーらに、高岡さんらは国内の各方面に照会を行い、その結果は『デザインの現場』2004年10月号に記されていますが、簡単に言うと

欧米各国に Futura とナチスを関連付けて考える者はおらず、特定の国家や民族に嫌われている事実もない

というものでした。制定書体として使われていたという事実も確認が取れていません。もしかしたら使用はしたかもしれないですが、ただそれでも嫌われているということはありません。Futura はドイツを含めたヨーロッパ各国はもちろん、ユダヤ人が多数を占めるイスラエルでさえ普通に使用されていることが確認されました。

当該記事は立野竜一さんのサイトに掲載されています。ご確認ください。この噂に関しては実例(?)を挙げて事実であるかのように書かれた雑誌や書籍が数点ありますが、立野さんはそれらに対する反証も行っています。

▲米フォルクスワーゲン社は
1959年から17年間、Futuraを使った
同じフォーマットの広告を作っていました

▲ネットで時々バズるドイツ製の氷砂糖 KANDIS。
パッケージの書体は Futura

画像1

▲ Futura そのままのルイ・ヴィトンのロゴ

ただ調査の中で、とある方が40~50年ほど前の某美大生時代にこの話を聞いたことがある、ということが判りました。どうも昨日今日広まった風聞ではないようです。

調査から3年経った2007年、この噂がなかなか消えないと感じた小林さんは、『ここにも Futura』というブログを始めました。欧米諸国の行く先々で見かける Futura の使用例を掲載し、「使っても大丈夫だよ」ということを伝えてくれています。2020年現在でも更新され続けています。

理論と実践のバランスを

タイポグラフィを好む方は理論派が多く、文字のデザインや組版技術などよりも、座学というか知識分野を好む傾向が非常に強く、こういった逸話は特に広まりやすかったのではないかと想像します。

昔はよく「フレンチのロゴやメニューにはフランス生まれの Garamond がいい」というようなことが言われました。同じフランスだからというのが理由です。ですが、ちょうど当時発行されていた Brutus 557号に掲載されていたパリのレストランのワインリストには、Futura が使用されていました。シンプルモダンの近代的なインテリアで統一されたレストランには、よく似合ってたように思います。

また、Caslon を「18世紀の英国ぽい」ということができる人は、18世紀英国の風土・文化を知ってなければならないと思いますが、実際にはただ「18世紀英国で作られた」という解説文だけに頼ってそんなことを言ってる人がほとんどです。果たしてそんなことでいいのでしょうか。

Futura とナチスに関する噂を広めた人も、Futura とナチス両方について知ってなければならなかったのではないか、少なくとも欧米各地での現在の使用状況を調べなければならなかったのではないか。そんな風に思います。

知識を仕入れるのを止めやしませんが、その知識が偏っていたりすると、この Futura のようなおかしなことになってしまいます。タイポグラフィは学問ではなくあくまで技術です。理論ばかり先行して、実践がおろそかになることがないようにしたいものですし、勉強するにしても多方面に幅広くしないといけないなと思います。かく言う私も頭でっかちになりつつあったんですが(笑)、いまは反省しています。

エキスパートたちは慎重かつ謙虚だった

私はただのイナカのいちデザイナーだったので、調査にはまったく尽力できなかったのですが(笑)、皆さんの調査状況を報告するメールは私にも送っていただいておりました。私はそのやり取りをただ「ひょええ」と見ているだけでしたが、その時に感じたことがひとつあります。それは、

エキスパートほど慎重で謙虚だ

ということです。あの方々は一流の自負はありながらも、決して簡単に断定してモノを言いません。自分の知らない、あるいは間違っていることがあるだろう、まして他国の文化のことなのだから。そういう前提で話をされている感じがしました。

高岡さんは「私は『研究』はしていない。研究とはそれについて書かれている書物をひとつ残らずすべて読むこと。私にはそこまではできない。『勉強』はしているけど」とおっしゃっていました。あれほどの方でも自分を研究者とはしない。そういう謙虚さを見習いたいと思います。

昨今、SNS でバズるのは「極端な意見を」「断定して言ってる」ことばかりです。それを鵜呑みにして「そうなんだー」と簡単に踊らされてしまうのはいかがなものでしょうか。「Futura ってナチスの書体だってよ!」と人に広める前に、「本当にそうだろうか?」と一度立ち止まる慎重さを持ってもらいたいと思います。ちょうど Twitter も仕様が変わって、リツイートが簡単にはできなくなりましたしね。

進化を続ける Futura

Futura のデジタルフォントは、現在あちこちのファウンダリーから販売されています。Adobe Fonts には Paratype 製の Futura PT があり、Adobe CC の利用者は追加料金なしで使用できます。

またバウアー活字鋳造所の流れを汲むスペインの Neufville Digital からは、2016年に Futura Next が発売されました。

そして2020年、Monotype からは Futura Now が。これまでの Futura よりもファミリーが拡充されています。

このように進化をし続ける Futura。新バージョンが出るということは、ちっとも嫌われる様子がないどころか、利用者が多く愛されている、という証拠でもあります。皆さん安心してご利用ください。 

カフェラテおごってください。