「普通だねぇ」

デザイナーを殺すのに刃物はいらない。この一言さえあれば十分である。クリエイティブ()であろうとするデザイナーのほとんどが、この言葉を最も忌み嫌うものとして認識しているはずだ。

第一案を見せるプレゼン時。どんなに自信のあるデザイナーでも緊張する瞬間である。私の経験だと、クライアントの第一声が「おぉ~」である場合、ほとんどそれ一発で決定である。その後も変更されることはまずない。しかしこの「おぉ~」が出なかった場合、それはそれはドロ沼にハマること間違いなしで、辛い辛い鉄人レースが始まる合図なのである。

だがやはり当たり前なのだが、この「おぉ~」の出る率というのは大変少ない。イチローのような天才(本人は鬼のように努力しているので、こう呼ばれることを嫌っているが)でさえ毎試合ヒットを打つことはできないのだから、私のような凡人では1割も打てれば良い方である。しかし「おぉ~」の出る時というのは自分でも判るもので、打ち合わせ中にデザインが頭の中でできあがってしまう場合がほとんどだ。こういった場合はほぼ間違いなく「おぉ~」となる。

で、この「おぉ~」なデザインが出ない場合、うんうん唸って取りあえず「見られる」デザインを作り、そこに多少のアレンジを加えていくことになる。しかしやはりノリの悪さというのは出るもので、その感想はやっぱり

「普通だねぇ」

となってしまう。が、ちょっとここで待ってもらいたい。

普通の何が悪いのだ。

普通、スタンダード、よくあるものが、何故普通でスタンダードでよくあるものなのか、よくよく考えていただきたい。

それは、悪くないからである。もっと言ってしまえば、比較的良いものだからこそ普及し、スタンダードとなり、普通となっているのだ。悪ければあっという間に淘汰され、とっくに消えてしまっているはずである。

だが「普通」というのは感謝されない。いうなれば電車のダイヤのようなもので、支障なく運用している間は何も言われないが、トラブルがあって遅れが出るとそれはもうクレームの嵐である。しかし、「普通」の状態を作り上げるのにどれほどの努力が積み重ねられているか、一般の人は知る由もない。だから文句は言われても感謝されることはない。とても淋しいものである。私の好きなタイポグラフィも、『本文組み』の分野ではこれと似たようなものがある。

私の尊敬するグラフィックデザイナー・松永真氏は、「普通であることを恐れるな」と言う。世の中ごたごた飾り付けた不必要なデザインが溢れているからこそ、シンプルで普遍的なものを作りたいと氏は願っている。ただし、いくつもの案を出し、吟味し、そぎ落とした結果の「普通」と、普通のデザイナーが普通に考えただけの「普通」は大分違うので、そこの所は勘違いしないでもらいたい。

そうやって色々言い訳を立て連ねた所で、凡人の私は言わずとも後者であることは疑いの余地もなく、今日も

「普通だねぇ」

と言われながら、フツーフツーと沸き上がる怒りをキーボードとマウスに叩きつけている。

Hercules
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